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<<   作成日時 : 2003/04/10 10:56   >>

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平成・奥の細道 グループ編成




参加者は

連続して参加する本隊(21)と一日だけ歩くデイリー隊(3)の

24グループに編成して歩きます


本 隊
1松尾芭蕉
2与謝蕪村
3加賀千代女
4小林一茶
5正岡子規
6大町桂月
7高浜虚子
8種田山頭火
9山口青邨
10中村汀女
11大友家持
12小野小町
13能因法師
14西行
15良寛
16与謝野晶子
17齊藤茂吉
18若山牧水
19北原白秋
20石川啄木
21宮沢賢治
デイリー隊
22河合曽良
23高村光太郎
24山口誓子







松尾芭蕉 正保元年(1644)〜元禄7年(1694)


江戸前・中期の俳人。伊賀国(三重県)生。西行、宗祇などの古人の世界を追慕し、生涯を旅とともにすごした。生涯に6度伊勢に参り、西行ゆかりの二見をたずねた。「奥の細道」は元禄2年(1689)、46歳の時の3月27日に江戸を出て150日間2400キロの紀行文学。俳諧史上最大の人物。

古池や蛙飛びこむ水の音
象潟や雨に西施が合歓の花

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与謝蕪村 享保元年(1716)〜天明3年(1783)


江戸後期の俳人・画家。摂津国(大阪)生。20歳頃江戸に出て俳諧、書画を志し、下総(千葉県北部)から、北関東、東北地方に遊歴したあと京都に帰る。俳諧では蕉風復興を提唱し、画業でも大きな足跡を残す。俳画の創始者、文人画壇の最高峰のひとりと称されている。

菜の花や月は東に日は西に
楠の根をしづかにぬらす時雨かな

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加賀千代女 元禄16年(1703)〜安永4年(1775)


江戸中期の女流俳人。加賀(石川県)の松任生。幼少の頃から風流の志があり、17歳で各務志考に師事し俳諧を学ぶ。夫と子に先立たれ、50歳を過ぎて剃髪し、尼となる。晩年は出村の町離に草庵を結び暮らす。安永3年(1774年)蕪村編女性のみの句集「玉藻集」に序文を草した。

朝顔につるべ取られてもらい水
こぼれては風拾ひ行くちどりかな

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小林一茶 宝暦13年(1763)〜文政10年(1827)


江戸後期の俳人。北信濃(長野県)柏原生。江戸に出て、二六庵竹阿について俳諧を学ぶ。二六庵を継ぎ、西日本や房総地方を行脚遊歴して俳諧修行をし、門人も増えるも51歳の時に帰郷。三度も結婚して老春を楽しみ、最後は土蔵暮らし。亡くなった時、妻の胎内にいたやた女が一茶の血統を伝えた。

雀の子そこのけそこのけお馬がとおる
めでたさも中くらゐなりおらが春

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正岡子規 慶応3年(1867)〜明治25年(1902)


明治時代の俳人・歌人。伊予国温泉郡(愛媛県松山市)生。明治17年、東大を中退し、新聞「日本」入社。俳句欄を創設し俳句革新を志し、一大俳句会派「ホトトギス」を創立。俳句だけでなく、歌壇の革新も唱え、短歌、新体詩、写生文などでも活躍。虚子、漱石など俊英を輩出す。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
松山や秋より高き天守閣

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大町桂月 明治2年(1869)〜大正14年(1925)


明治時代の詩人・随筆家。高知県土佐郡生。桂月という号は郷里の名所桂浜にちなむ。雑誌「太陽」に十和田湖を載せ、世に紹介して十和田湖観光の礎を築く。旅に明け暮れし、足跡は朝鮮、満州にも及んだ。最後は終焉の地として十和田湖に近い蔦に本籍を移す。

雲の日の親きお花畑かな
膝のもと十丈の瀑布一杯哉

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高浜虚子 明治7年(1874)〜昭和34年(1959)


明治、大正、昭和期の俳人・小説家。愛媛県松山市生。正岡子規に師事し「国民新聞」俳句選者となり、「ホトトギス」を主宰し、俳句は<花鳥諷詠>の詩と規定し、終始俳壇における保守的な役割を果たして多くの優れた俳人を育成した。

去年今年貫く棒の如きもの
桐一葉日当たりながら落ちにけり

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種田山頭火 明治15年(1882)〜昭和15年(1940)


大正、昭和期の俳人。山口県佐波郡生。荻原井泉水に師事。早大中退後、43歳で仏門に入り尾崎放哉に傾倒し、妻子を捨てて庵を結び、一笠一杖の乞食行脚で各地を遍歴。禅味のある自由律な独自の句を残した。もっとも人気が高く、多くの人に愛されている俳人の一人。

分け入っても分け入っても青い山
うしろすがたのしぐれてゆくか

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山口青邨 明治25年(1892)〜昭和63年(1988)


明治、大正期の俳人・鉱山学者。岩手県盛岡市生。東大の採鉱学科卒業後、工学博士として東大教授となる。在学時から高浜虚子に師事し、灯台俳句会を結成。落ち着いた風趣に富んだ句を多く残す。鉱山の研究から土に親しんだ句、またみちのくを材にとった句が多いことでも知られている。

みちのくの淋代の浜若布寄す
銀杏散るまつたヾ中に法科あり

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中村汀女 明治33年(1900)〜昭和63年(1988)


昭和の女流俳人。熊本県生。18歳の冬、掃除中に浮かんだ句が句作の初め。それが新聞に掲載され、さらに当時の大俳句誌「ホトトギス」にも入選。当時は、考えられない快挙であった。家庭の日常を情感豊に読む女流俳人として知られる。「風花」を創刊、主宰す。

ゆで玉子むけばかヾやく花曇
外にも出でよふるるばかりに春の月

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大伴家持
生年は諸説あるが、没年は延暦4年(758)と言われている。


奈良後期の歌人。「万葉集」中もっとも歌数多く、その編纂に関わっていた。越中守(当時は能登もあわせた大国)を務める。高山河川に富み冬長く雪の多い異風土への清新な開眼から、地方風土に密着した新鮮な詩情を醸し、優艶繊細な歌風で、万葉後期を代表する歌人。

もののふの八十をとめらがくみ乱ふ寺井の上のかたかごの花
春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも

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小野小町
生没年は諸説あるが、大同〜延喜(809〜901)の頃と言われている。


平安前期の女流歌人。出羽国福富(秋田県の最南端)生。「絶世の美女で栄華を尽くし多くの求婚をしりぞけたが・・・」との様々な伝説に包まれている。六歌仙の一人に数えられ、恋歌や夢を歌った浪漫的な作品に才を発揮し、女流文学の先駆的役割を果たした。

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
思ひつつぬればや人のみえつらむ夢としりせばさめざらましを

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能因法師 永延2年(988)〜没年未詳


平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。26歳の時出家し、摂津国(大阪府)に住む。諸国を旅し、奥州・伊予・美作などに足跡を残した。ことに陸奥旅行は名高い。歌集には馬の記事が多く見えることなどから、馬の交易のため各地を旅していたとの説もある。

都をば霞とともにたちしかど秋風ぞふく白河の関
心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春のけしきを

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西行 平永元年(1118)〜建久元年(1190)


平安後期〜鎌倉前期の歌人。名は佐藤義清。鳥羽院の警護に当たる北面の武士として仕えたが、23歳の時に出家し、諸国をめぐり、自然を友として多くの歌を詠んだ。没後に出された「新古今集」に九十四首が入首、当代随一の歌人とされた。

なにごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる
願はくは花のもとにて春死なんその如月の望月のころ

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良寛 宝暦8年(1758)〜天保2年(1831)


江戸後期の歌人。越後出雲崎の名主の長男であったが出家、倉敷玉島の円通寺で厳しい修行を積んだ後、各地を行脚。”良寛さま”と慕われ、草や木、動物に対しても愛情こまやかな人物としてさまざまな逸話を残している。越後の五合庵に暮らし、29歳の貞心尼との師弟愛も。

霞立つながき春日を子どもらと手まりつきつつこの日くらしつ
たくほどは風がもてくる落葉かな

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与謝野晶子 明治11年(1878)〜昭和17年(1942)


明治、大正、昭和期の歌人・詩人。大阪堺市生。女学校時代から日本文学に親しみ、与謝野鉄幹と出会って新詩社に加わり、翌年には鉄幹との結婚のため家を捨て、自由奔放に青春の情熱と人間讃歌を歌いあげる。日露戦争の熱狂のなかで有名な反戦詩「君死にたもうことなかれ」を発表。

やは肌のあつき血汐にふれも見てさびしからずや道を説く君
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

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斎藤茂吉 明治15年(1882)〜昭和28年(1953)


大正、昭和期の日本歌壇の第一人者。山形県南村山郡金瓶村生。伊藤左千夫の門下となり「アララギ」の編集を担当。左千夫亡き後はアララギ派の中心となって活躍。東大医学部卒。青山脳病院長にも就任。「柿本人麿」全5巻等研究、評論の業績も多い。

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆうべとなりにけるかも

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若山牧水 明治18年(1885)〜昭和3年(1928)


明治、大正期の歌人。宮崎県東臼杵郡東郷村村生。牧水の生活は旅と酒で知られ、旅行して歌を作り、紀行文を書いて生活の資にした。短歌にも、口語発想、句読点を使った表記など、新しいスタイルを試み、ダイナミズム溢れる自然主義な作風で知るれている。

幾山河こえさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく
白鳥は悲しからずや空の青海の青にも染まずただよふ

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北原白秋 明治18年(1885)〜昭和17年(1942)


明治、大正、昭和期の詩人・歌人。福岡県柳川生。早大を中退して詩作にふけり、吉井勇らと<パンの会>をつくり、「スバル」を創刊。鈴木三重吉創刊の「赤い鳥」で童謡を担当し、山田耕作と「詩と音楽」を創刊。詩、短歌、童謡、歌謡など詩歌の広い分野で多くの業績を残した大詩人。

薔薇ノ木ニ、薔薇ノ花サク。ナニゴトノ不思議ナケレド
春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ

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石川啄木 明治19年(1886)〜明治45年(1912)


明治時代の詩人・歌人・評論家。岩手県南岩手郡日戸村生。26歳で早世した啄木が24歳で出した処女詩集「一握の砂」は、日本人がもっとも多く韻じている歌集の一つ。中学を中退して状況以来、病と貧困の中で、故郷の渋民村や北海道各地を転々とし、上京して金田一京助と同居する中、多くの人々の心を打つ歌を。

東海の小島の磯の白砂にわれ鳴きぬれて蟹とたはむる
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買いきて妻としたしむ

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宮沢賢治 明治29年(1896)〜昭和8年(1933)


大正、昭和期の詩人・童謡作家。岩手県稗貫郡花巻川口町生。賢治は盛岡農校在学中に熱心な日蓮宗信者となり、また地質土壌の改良や肥料研究を専門とする科学者として、農民への奉仕にその一生をささげた。賢治のかかげた理想は今なお、輝き続けている。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ・・

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河合曽良 慶安2年(1649)〜宝永7年(1710)


江戸前・中期の俳人。信濃(長野県)の上諏訪生。伊勢長島藩に仕え、後に江戸に出て、深川芭蕉庵の近隣に居を構え、芭蕉とは朝夕なく来往し、奥の細道の旅の同行者に選ばれ、その「随行旅日記」は芭蕉の「奥の細道」が芸術的な感興で書かれているのに対し、事実を中心に記して好一対をなしている。

卯の花をかざしに関の晴着かな
松島やに身をかれほととぎす

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高村光太郎 明治16年(1683)〜昭和31年(1956)


大正、昭和期の彫刻家・詩人。東京下谷生。父光雲は有名な彫刻家。東京美術学校在学中から、彫刻制作の一方、「明星」に短歌を発表。3年半欧米に留学。詩作でも、ヴェルレーヌやボードレールを学ぶ。画家の長沼智恵子と結婚し、詩集「道程」、「智恵子抄」を刊行。

山にゆきて何をして来る 山にゆきてみしみしあるき水のんでくる
光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此処に住みにき

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山口誓子 明治34年(1901)〜平成5年(1993)


大正、昭和期の俳人。京都市岡崎町生。虚子に師事し、東大俳句会に参加。水原秋桜子や斎藤茂吉の影響を受け、<俳句復興運動>の指導者と目さる。「ホトトギス」を去り、戦後「天狼」を創刊・主宰して後進の指導にあたり、俳壇に大きな影響を与える。

日本がここに集る初詣
海に出て木枯帰るところなし

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